マッチングアプリのススメ

マッチングアプリの沼にはまっている。もうやめられない。

生身を使った恋愛シミュレーションゲームを攻略しているというぐらいの気持ちでいたら、無限に女を口説き続けてしまい、六股なる状況に陥り苦笑いをしている(困り果てアマガミの攻略サイトを見に行くと同時攻略は二人までと書かれていてゲームでも起こり得ない頭の悪い状況になっているらしい)。

「このたび、私事で大変恐縮ですが、就職いたしました」のようなブログでも書こうと思っていたのに、今のムーヴは完全にマッチングアプリだ。

九月一日から会社勤めをはじめ、地元、実家に帰ってきたのだが、それを機に、今まで利用していたハッピーメールからの乗り換えを考えていた。かねてから同サイトには限界を感じていて(こちらに来てからも熟女と交わったのだが)、フェイスブックと提携のペアーズを利用しはじめた。

マッチングが成立しないことには何も始まらない上に、男性は課金前提のシステム(有料会員でなければメッセージは最初の一通しか開けない/月3000円)に戸惑いながらも、はじめてみればそこには人跡未踏の楽園が広がっていた。

 まず、マッチングアプリというカテゴライズが妙。これは前史では出会い系サイトと呼ばれていたものが事実上名前を変えただけの存在であるのに、「出会い系サイト」の語感から滲み出るいかがわしさ、金銭や性交渉の香りを感じない清廉さがある。謳い文句として「男女の健全な交際を目的として出会いの場、きっかけを提供している」のだ。(インターネット・ビジネスや宗教の勧誘なども存在するらしいが、俺は確認していない)

「マッチング」「アプリ」、日本語の妙である。

ごく少数、己の承認欲求を満たすために「いいね」を獲得するあからさまないいねゲッターがいるものの、(個人的な感触として)八割以上のユーザーが真剣交際を望んで二ヶ月から半年程度のサイクルで入れ替わり立ち替わり利用しているという感じだ。容姿はピンからキリまで、年齢も確認しているところで十九から六十四まで(二十代が圧倒的に多い)。真剣交際の度合いも様々で、遊び友達を求めている、いわゆるアッシー・メッシーが欲しい人から、背水の陣を組んで乗り込んで来る強者までいる。実名登録が基本のフェイスブック・アカウントを介して利用しなければいけないという点が大きいのかもしれないが、普通の女が本当にいる(本当にいる)。

そして、驚くべきは一度も男性とお付き合いしたことがないどころか手も繋いだこともないという女がわりかしいる。これは憶測、女の嘘ではなく、実際に出会い、俺が貫通した。生娘までが怯むことなく手を染めている。ハッピーメール時代に金銭を譲渡しババアを抱くことで鎮めていたもう一人のボクを、ノーマネー女子大生の柔肌で納刀できるのだから気が狂いそうになる。

この記事には「みなさんもはじめてみてはいかがだろうか」という勧誘の意味は含まれておりません。なぜなら、俺は顔にはそれなりの自信があり、職業も雑誌の編集をしている強者(キョウシャ)。某魔法戦隊の小津家長女さながらの状況にあるが、持たざる者は死するのみ。エルシャダイなら「そんな装備で大丈夫か?」と尋ねられるのである。しかし、年収が六百万以上などの強力な武器を携えた戦士であればこのインターネット・フロンティアで渡り歩くことができるだろう。

俺は修羅、血に飢えた獣。一足先に、地獄で待っている。

 

※この記事を書くにあたり、ペアーズからは一銭もいただいておりません。

 

 

 網戸を開けて窓際から乗り出すと、生ぬるい風が頬をなでた。しかし、生ぬるいとはいえ風があるだけ部屋の中よりは幾分か涼しいという錯覚があり、この場所で本を読んだりするのが好きだった。

 すっかり日に焼けて色あせてしまった健康サンダルに足を通すと、いかに自分が不摂生に甘んじているのかを自覚させられる。いい加減なれてもいいような気がするが、長年連れ添った健康サンダルは、今日も、足の裏から説教臭くとげを突き立てた。あんまり熱心に踏み続けると、血の巡りがよくなるのかなんなのか腹を下す(よくわからない)ので、ほどほどに足を投げ出して窓際に腰を落ち着ける。

 普段からも、相当窓に近い場所に座椅子を構えてパソコンにかじりついているが、ベランダに半分体を出すと、外の音がよりよく聞こえる。カラスの鳴き声、車の音、あらゆる生活音。隣の部屋から聞き覚えのあるヒップホップが聞こえてくる。窓からヒップホップを垂れ流す厄介な輩が隣に住んでいるという事実はかなり堪えたが、どうにも聞き覚えがあり、しばらく考えていたがわからない。蚊が寄ってくるのでひとまず煙を焚くことにした。

 ベランダには場違いな青いティーカップが置かれている。

「茶碗とどんぶりがあればいい。」

 などというぶっきらぼうな物言いを意にも介さず、男子大学生の一人暮らしで使うわけもない食器一式を越してきたときに母が置いていった。こいつはその中の一点。他の食器は、シンクの下で五年もくすぶっている。

 唯一日の目を浴びている青いティーカップは、耐熱性の丈夫なやつだと母から聞いたから、迷わず灰皿にした。かわいそうだとは思う。そのとき母は、有名なブランドの物だと言ったけれど、別に興味はないし、一度灰皿に身をやつしたティーカップにすでに価値などない。これからどんな真実が告げられようとも、お前は一生灰皿のままだ。俺の意思は固い。せいぜい仕事をこなせと、待ち構える口に向かって灰を落としてやった。悔しかったら、うんとかすんとか言ってみろと思う。

 唐突ですが、思い出したので発表します。隣のヒップホップ、あれはパラッパラッパーだ。どうりで聞き覚えがあるわけだが、しかし、天気のよい日曜に家でパラッパラッパーをプレイする彼に少しだけ親近感がわく。瀬戸内から来た彼は、引っ越しの挨拶でレモン風味のえびせんを持ってきた。あれはまずかったことを鮮明に覚えている。まあまあ腹立たしい。

 テレビから歓声が聞こえてきた。どうやら、白鵬がまた優勝したらしい。それは腹立たしくない。

 

 

3

 ずっとなくしたとばかり思っていた携帯音楽プレイヤーがでてきた。せっかくなので充電して電源をいれてみると、当時好きだった、今はちょっとだけ古い曲が最新の顔をして上のほうに並んでいる。しかし、あまりにも最新然としているので、私がタイムスリップしたのかなと勘違いしそうになった。私は、そんな彼らが少し不憫で、アップデートは落ち着いたころに、また後日してあげようと思う。

 なけなしの小遣いで買ったプレイヤーは旧式もいいところだけど、それがまた味のあって、まだタッチパネルなんてなかったあの頃の、ボタンを押す感覚が心地よい。懐かしくって、無意味に画面をスクロールする。カチカチという確かな手応えは、当時の記憶を徐々に呼び戻す。

「いっしょにプレイリストなんかも作ったっけ。」

 そんな青臭い思い出のプレイリストには、選曲に合わせたぶっきらぼうな名前がついている。私とあの人が好きだった曲の入った「favorite」というプレイリストを再生してみると、甲高い女のヴォーカルが恋について、なんとも甘ったるい言葉を紡いでいく。こんなに女々しい歌を好きだったのは私ではなかったけれど、たぶん、絶対、私もこのバンドに心酔していた。

  イヤホンから流れてくる女の声が夕暮れのペーソスを歌う。ふと窓の外を見ると、夜の七時だというのにまだまだ明るくて、そういえば、このプレイヤーをなくしたのもこんな季節だったことを思い出す。あの頃は、公園のベンチで肩を並べているだけで幸せだったっけ。明るい時間が長ければ長いほど、もう帰ろうかなんて、悲しい提案をいつまでも引き延ばせてしまえる。もっともっと一緒にいさせてほしくて、神様にこの時間を止めてほしいと願った。時の止まった音楽プレイヤーは 、そんなあの頃の気持ちも留めていて、それを容赦なく耳から流し込んでくる。

 この曲を「favorite」のプレイリストに入れたのは私だ。片耳ずつイヤホンを分け合って、何度も聞いて、君の好きな歌が私の歌になった。確か、この歌は、「夏」のプレイリストにも私が入れた気がする。

 

youtu.be

 

 今週のお題「私の『夏うた』」