網戸を開けて窓際から乗り出すと、生ぬるい風が頬をなでた。しかし、生ぬるいとはいえ風があるだけ部屋の中よりは幾分か涼しいという錯覚があり、この場所で本を読んだりするのが好きだった。

 すっかり日に焼けて色あせてしまった健康サンダルに足を通すと、いかに自分が不摂生に甘んじているのかを自覚させられる。いい加減なれてもいいような気がするが、長年連れ添った健康サンダルは、今日も、足の裏から説教臭くとげを突き立てた。あんまり熱心に踏み続けると、血の巡りがよくなるのかなんなのか腹を下す(よくわからない)ので、ほどほどに足を投げ出して窓際に腰を落ち着ける。

 普段からも、相当窓に近い場所に座椅子を構えてパソコンにかじりついているが、ベランダに半分体を出すと、外の音がよりよく聞こえる。カラスの鳴き声、車の音、あらゆる生活音。隣の部屋から聞き覚えのあるヒップホップが聞こえてくる。窓からヒップホップを垂れ流す厄介な輩が隣に住んでいるという事実はかなり堪えたが、どうにも聞き覚えがあり、しばらく考えていたがわからない。蚊が寄ってくるのでひとまず煙を焚くことにした。

 ベランダには場違いな青いティーカップが置かれている。

「茶碗とどんぶりがあればいい。」

 などというぶっきらぼうな物言いを意にも介さず、男子大学生の一人暮らしで使うわけもない食器一式を越してきたときに母が置いていった。こいつはその中の一点。他の食器は、シンクの下で五年もくすぶっている。

 唯一日の目を浴びている青いティーカップは、耐熱性の丈夫なやつだと母から聞いたから、迷わず灰皿にした。かわいそうだとは思う。そのとき母は、有名なブランドの物だと言ったけれど、別に興味はないし、一度灰皿に身をやつしたティーカップにすでに価値などない。これからどんな真実が告げられようとも、お前は一生灰皿のままだ。俺の意思は固い。せいぜい仕事をこなせと、待ち構える口に向かって灰を落としてやった。悔しかったら、うんとかすんとか言ってみろと思う。

 唐突ですが、思い出したので発表します。隣のヒップホップ、あれはパラッパラッパーだ。どうりで聞き覚えがあるわけだが、しかし、天気のよい日曜に家でパラッパラッパーをプレイする彼に少しだけ親近感がわく。瀬戸内から来た彼は、引っ越しの挨拶でレモン風味のえびせんを持ってきた。あれはまずかったことを鮮明に覚えている。まあまあ腹立たしい。

 テレビから歓声が聞こえてきた。どうやら、白鵬がまた優勝したらしい。それは腹立たしくない。

 

 

3

 ずっとなくしたとばかり思っていた携帯音楽プレイヤーがでてきた。せっかくなので充電して電源をいれてみると、当時好きだった、今はちょっとだけ古い曲が最新の顔をして上のほうに並んでいる。しかし、あまりにも最新然としているので、私がタイムスリップしたのかなと勘違いしそうになった。私は、そんな彼らが少し不憫で、アップデートは落ち着いたころに、また後日してあげようと思う。

 なけなしの小遣いで買ったプレイヤーは旧式もいいところだけど、それがまた味のあって、まだタッチパネルなんてなかったあの頃の、ボタンを押す感覚が心地よい。懐かしくって、無意味に画面をスクロールする。カチカチという確かな手応えは、当時の記憶を徐々に呼び戻す。

「いっしょにプレイリストなんかも作ったっけ。」

 そんな青臭い思い出のプレイリストには、選曲に合わせたぶっきらぼうな名前がついている。私とあの人が好きだった曲の入った「favorite」というプレイリストを再生してみると、甲高い女のヴォーカルが恋について、なんとも甘ったるい言葉を紡いでいく。こんなに女々しい歌を好きだったのは私ではなかったけれど、たぶん、絶対、私もこのバンドに心酔していた。

  イヤホンから流れてくる女の声が夕暮れのペーソスを歌う。ふと窓の外を見ると、夜の七時だというのにまだまだ明るくて、そういえば、このプレイヤーをなくしたのもこんな季節だったことを思い出す。あの頃は、公園のベンチで肩を並べているだけで幸せだったっけ。明るい時間が長ければ長いほど、もう帰ろうかなんて、悲しい提案をいつまでも引き延ばせてしまえる。もっともっと一緒にいさせてほしくて、神様にこの時間を止めてほしいと願った。時の止まった音楽プレイヤーは 、そんなあの頃の気持ちも留めていて、それを容赦なく耳から流し込んでくる。

 この曲を「favorite」のプレイリストに入れたのは私だ。片耳ずつイヤホンを分け合って、何度も聞いて、君の好きな歌が私の歌になった。確か、この歌は、「夏」のプレイリストにも私が入れた気がする。

 

youtu.be

 

 今週のお題「私の『夏うた』」

 

 

 男というのは、総じて、チャッカマンが好きだ(主語がでかい)。

 子供のころにいやいや墓参りに連れていかれた経験は誰しもあると思うが、線香に点火する瞬間だけは異様に盛り上がる。やっぱり、やりたくてしょうがなかった。火の取り扱いというと、大人も多分に気を使うため、子供にやらせることはまずないが、それ故に男児にとって、チャッカマンは「大人」を感じさせる羨望の対象だった。とはいえ大人のアイテムのくせに、子供が好みそうなセンスのいい名前(中学になるまで完全に俗称だと思っていた)と引き金をひくと火が出るギミック、小さすぎず大きすぎず手になじむいい塩梅で、玩具と呼ぶにふさわしいという矛盾を抱えているのも面白い。

 先日、スーパーでレジ脇にチャッカマンが無造作に並べられているのを見て思わず「ずるいところに並べている」とぼやきながら気づいたらカゴにインして会計タイムに突入した。本当にずるいとこに並べている。チャッカマンを買うことについてはなんら問題のないことだが、前述のように人一倍熱い気持ちがあるので、ちょっとだけ恥ずかしくて、チャッカマンのバーコードを読み取る瞬間だけ俯いてわけもなく尻をかいたりした。

 結局、チャッカマンを手に入れたところでこれといった使い道もないわけだが、単純にチャカチャカしているだけでも楽しい。やはり、引き金をひくと火が出るというギミックはロマンがあり、ワンタッチのロック機能がついているのも地味ではあるが玩具としての精度を高めている。安価で手に入る点も素晴らしい。

 チャッカマンで煙草に火をつけるのも中々に趣きがあって、二回ぐらいは意味もなくライターを使わずチャッカマンで点火するが、案の定二回ぐらいで飽きる。ただ手の届く場所に置いておくと忘れたころにまた二回ぐらいチャッカマンで点火して楽しい気持ちを味わえる。チャッカマンは楽しい。

 ちなみに今、手元にはチャッカマンが四本ある。毎年数本買う。意味もなく増え続けるチャッカマンを見ると、こういうのが貧乏なのだという実感がわく。